赤ずきんちゃんの主役を譲った娘。

娘の幼稚園で子どもたちの演劇会があり、娘たちのクラスは赤ずきんちゃん。

個人的な好みの画像ですみません。

主役の赤ずきんちゃんをやりたい子は3人。

私の娘もその一人。

「ねー、パパ。赤ずきんちゃんやりたい子が他に二人いるんだ。でも私もやりたいんだ」

赤ずきんちゃんをやれるのは一人だけ

どうやって絞るのか

先生の方針は、自主辞退だ

3人にこう言ったらしい

「優しく他の子に譲ってくれる子はいないかな」

この決め方、私はいいとは思わない

 

これだと、赤ずきんちゃんはもっとも優しさのない子がやるということになる。

 

じゃんけんやくじ引きの方がまだいいと思う

 

「譲ってくれる人はいないかな」

これで一日膠着状態が続いたらしい。

 

娘とお風呂でその話になった。

私はこう言った

「どうしてもやりたいと思うなら、最後まであきらめない方がいい。

もし譲ったら他の子が赤ずきんをやっているところを見ることになる。その時どんな気持ちになるかも考えて決めてみたら」

 

私は基本的にこどもに決めさせる。

こどもがもっとも傷つかない選択を親が提示して、こどもがその通りにしたところでなんの意味もない。

そもそも親はそんなに優れていない

親が決めてあげなきゃ。そういう親はこどもをダメにすると思っている

どうしても言いたくなるけど、それはぐっとこらえる。

例え悔しかったり傷ついたとしても、こどもが自分で悩んで決めたなら、その方がよっぽどこどもの成長になる

 

次の日、仕事から帰宅すると娘がポロっと話し始めた

「私赤ずきんちゃん止めたんだ。先生に他の役でいいって言った。小鳥の役になっちゃった」

ちょっと泣いていた。

私も少し泣きそうになった。

赤ずきんから小鳥の落差も大きい。

娘に言った

「うん、自分で決めたんだね。なんでそうしようと思ったの?」

「先生も困ってたし、他の二人は全然譲ろうとしないし、このままじゃ決まらないからもういいかなって」

これをどう捉えるか

赤ずきんちゃんへの情熱が他の子ほどなかったとは思わない。

 

娘は悲しそうだった。

でも、これも成長するためのいい経験だ。

私は自分のために大切にとっておいたチョコミントアイスを半分あげた。

 

娘の意思は尊重して褒めたい。でも、こういう時はいつも譲るべきとは言えない

こういう時に私が気になることがある。

人に譲る人間と、断固として譲らない人間。

どっちが幸せな人生なのか。

 

赤ずきんちゃんを譲ろうとしなかった二人の子どもたちを責める気は全くない、まだ幼稚園児だ。

 

しかし、大人になってもそういう人たちはいる

自分の権利ばかりを振りかざして、他人に譲ったり妥協点を探ろうともしない人たち。

私は仕事柄そういう人たちを大量に見てきた。

そいつらは、他人から白い目で見られてもまったく気が付かないため、ある意味で幸せそうだった。ストレスも少なそうだ。

でも娘にそうなってほしいかと言ったら、それはない。

 

「情けは人のためならず」

よく間違って解釈されるこの言葉。

優しさはその人のためにならないという意味ではない

人に与えた優しさはいずれ自分の下に返ってくるという意味だ。

ホントかよ?と思うこともあるし、やっぱりホントだな思うこともあった。

 

赤ずきんちゃんを譲ってよかったと思ったかどうか、

演劇会が終わった頃に、娘がどう思ったかをまた聞いてみたい




 

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