私は父親には本音を言えない関係だった。そんな私がこどもとの間で守ろうと決めている原則

子どもの頃の私にとって、父親は本音を言える相手ではなかった。

なぜなら、私自身の考えや気持ちを理解しようとせず、父親自身の価値観を押し付けてくる父親だったから。

自分が親になった今、こどもが本音を言ってくれる関係を築きたいと思っている。

大人とこどもでは、多くのことで意見の相違や衝突がおこる。

大人にとっては大したことではなくても、こどもにとっては深刻で重大なことだったりする。

私はこどもの頃、父親にはこどもの事情を理解してもらえなかった。

 

例えば、私が通っていた小学校には、学校ジャージがあった。

それは体操服とは別物

私服とまったく同じ扱いで、冬季に着たければ着ればいいし、着たくなければ着なくてもいい。

買わなくてもいい。

しかし、入学の際に購入することを勧められる。

このジャージ、公立学校のオフィシャル品だけあって、恐ろしくダサい。

緑色でカエルと言われていた

子どものたちの間ではこれを学校に着てくると

「あ!カエル着てる」と笑い者になる対象だった。

気にしない子は気にしないが、気にする子はそれが理由で着て来なくなる。

 

このカエルジャージ、残念ながらうちの親は購入してしまった。

私は一度着て行った。

案の定、「カエル!」と笑われた。

私は気にする子どもだった。

もう二度と着て行きたくなかった

これを着て行くなら真冬でも半袖で行った方がマシだ

翌朝、私はそれを着ないで学校に行こうとした

玄関を出る前に父親に見つかった

「おい、寒いからジャージ着ていけ」

うわぁ↷、なんで気がつくんだよ

 

私はその時すでに、父親に自分の本音や苦悩を言ってもわかってもらえないことを理解していた

だから本音は言わずに

「そんなに寒くないから着なくても大丈夫」と言った

これなら着ていく理由はない

しかしダメだった

父親は

「せっかく買ったんだから使え。もったいないだろ」

どうやら私の体感温度などはどうでもいいらしい。

(実際は確かに寒いのだが)

この言い訳では通じないと思った小学生の私は、さらに墓穴を掘るようなことを言ってしまった

「このジャージあんまり好きじゃないんだよね」

今考えると絶対言ってはいけない本音だ

これを言ったらどんな展開になるかをなぜ考えなかったのか

今だったら明確にわかるのに

父親はもちろんこう出てきた

「何が好きじゃないだ。せっかく買ってやったのに。今日から必ず毎日着ていけ」

本音を言ったことでよけい着ていく義務が強化された。

それから毎朝、玄関で袖を通すたびに憂鬱になった。

玄関に掛かっていたあの緑色のジャージが忌々しかった。

しかし、私は学校で笑わられのは絶対に嫌だった。

どうしたか。

学校に着く前に脱いで、学校に着いたらすぐに見つからない場所に隠す。

おかげで真冬の通学は行きも帰りも防寒着なしの寒い通学だった。

 

こういうエピソードは他にいくらでもある。

 

小学校高学年の時、周りでゾイドが流行った。

友達の家で見せてもらった大型のゾイド、ゴジュラスやウルトラザウルスに私は完全に一目ぼれした。

惚れ惚れした

これまでのどんなものよりも欲しかった。

 

しかし、私は親に買って欲しいと言える家庭ではないことはわかっている。

親におねだりという思考はなかった

しかし、ゴジュラスはどうしても欲しい

価格は確か、5〜6千円くらいだったか

小学生にとっては今まで経験したことない高額なものだ。

数十円のビックリマンチョコとはわけがちがう

母親に聞いてみた

もちろん買ってくれるかどうかではない

「ねー、今年もらったお年玉2万円くらいあったよね。何も使ってないよね」

母親は「うん、そのまま貯金してあるよ」

「買いたいものがあるんだけど」

事情を説明した

母親はなんと言ったか。

簡単に言うと、今までにない高額なものだから父親に言わずに買わせることはできないと言う。

「お父さんに聞いてみなさい」

その時点で私は絶望的な気持ちになった。

自分のお金で自分の欲しいものを買うことを諦めなきゃいけないんだから、本当に理不尽だ

しかしどうしても欲しかった。

あのゴジュラスが自分の元にあることを想像すると心が躍る

母親に言った

「お父さんはたぶんダメって言うよね」

母親は私がどれだけ胃を痛めているか、どこまでわかっているかはわからない

「でもそんなに高いものお父さんに言わないで買うわけにはいかないでしょ」

私は迷った。

おそらくどうせ買えない

言っても買えないし、言わなくても買えない

聞いてみてダメだったとしても失うものはないんだから聞くだけ聞いてみるというのも、私の場合はそうはいかない。

聞いてみてダメだった場合、買えなかったという悲しい結果だけでは終わらない。

なぜなら、オモチャにお年玉を使おうとしたことに対して絶対に何か言われる。

父親に聞いてダメだった場合、聞かないで諦めた時よりも私の心が負うダメージは大きいのだ。

 

しかし、もし「買ってもいい」って言ったら、あのゴジュラスが毎日家で好きなだけさわれる

こんなこと本当に今まで言ったことない

私がこんなこと言うなんてどれだけ欲しいかをわかってくれるかもしれない

 

そんなかすかな希望を抱き、父親に聞いてみる決心をした

再確認しておくが、おねだりではない

自分がもらったお年玉を自分の欲しいものに使っていいかというだけの許可だ。

それでこんなに胃を痛めて悩まきゃいけないのだろうか。

 

父親が仕事から帰ってくるまでの時間、どうやって言おうか、いつのタイミングで言おうか考え続けてた。

 

父親は毎日酒を飲んで酔っ払う。その時がいいか。

いや、むしろ酒が入っていない時の方がいいのか

 

いろいろ悩んだ結果、帰って来て「おかえり」を言った時、そのまま言ってみることにした

 

父親が帰ってくる時間が近づいてくると、気が重くなり苦しくなってきた

やっぱりやめようかとも何度も思った

 

そしてついて帰ってきた

私は「おかえり」と言って、靴を脱いで入ってくる父親に向かって言った

「あのさ、お年玉で買いたいものがあるんだけど」

父親「ゾイド?なんだそれ?」

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ダメだった。

そして、私が予想していたもっとも最悪なパターン、買えない上に買おうとしたことすら責められるという結果になった

 

肩を落とししょんぼりした私をみて母親は、視線だけで「残念だったね」と言っていた。

やっぱり言わなければよかった。

 

 

やがて、私はどうしても言わなければいけない時しか父親に自分のことを話さなくなった。

いや、もしかしたら、誰に対してもそうなっていったのかもしれない。

 

良いところもたくさんあった父親だ。

夏休みには毎年キャンプに連れて行ってくれたり。

 

しかし、こどもの苦悩や事情を理解してくれる父親ではなかった。

いつも大人目線で、それを頭ごなしに押し付けてきた。

 

私は自分が親になった今、これをすごく気をつけるようにしている

親にとって正しいことでも、親にとってどうでもいいようなことでも、こどもにとってはちがうことがある

 

こどもの思い通りにさせられない場合ももちろんある。

叱らなきゃいけない時は叱る。

しかし、その場合でも、頭ごなしにダメだとは言わない。

必ず一度こどもの事情を理解したり共感するようにしている

 

そうしないと、こどもは私のようになってしまうと思っているから。

 

どんな人でも親になった時、やっぱり自分の親がどうしていたかを無意識に意識していると思う。

いい意味でも悪い意味でも。



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